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#001  『心猫』

 山形県の鶴岡市、羽黒山の麓に『玉川寺』という開山七百余年、美しい庭園で有名な寺院がある。今年の夏、その古刹を訪れてみた。

 駐車場には国産の高級車が一台。平日の午後遅い時間は観覧者も少ないようだ。受付を済ませて座敷に上がるとその先に庭園が見えるのだが、まず私の目に入ってきたのは座敷の真ん中に自分の家のごとくゴロリと横になっている中年男性の姿であった。男は私らの気配に気づいているはずなのに場所を空けるそぶりも見せず、「気持ちいいいねぇ。ビールでも飲んだら最高だな」 などと大声でしゃべっている。目ざわりこの上ない。だが男はすぐに奥方と思われる女性に急かされて、ノロノロと座敷を出て行った。おそらく表の高級車の持ち主だろうが、「金はあっても品がない」 という言葉が思わず口を突く。
 そんなところへ、受付で注文していたお茶とお菓子が出てきた。風雅な味わいのそれを頂きながら、私は庭園の鑑賞に気持ちを戻した。
 
 お茶を終えて座敷に座ったまま庭園を眺めていると、私邸の方から猫が一匹、ふらりと姿を現した。猫好きの私としては大変に嬉しいシチュエーションである。しかし猫と言うものは不用意に距離を詰めるとすぐに逃げて行ってしまうものである。私はあえてあまりちょっかいせずに、その猫さんとこの空間と時間を共有することにした。
 
 その後わたしは庭園内を一回り散策し、再び座敷に戻ったのであるが、するとさっきの猫はまだ縁側にたたずみ、庭を眺めていた。この猫さん、どうやら人に対してあまり警戒心がない様である。それだけではなく、さすがに由緒ある古寺に住まう猫だけあってか、庭を眺める横顔にも高僧のごとき超然としたたたずまいを漂わせている。

 やがて猫殿は縁側を離れ、廊下の奥へと歩き出した。どこへ向かうのかと見ていると、猫殿は廊下のL字の角の突き当たりにあった椅子にポンと飛び乗った。そしておもむろに毛づくろいを始めたのである。
 見事な絵であった。
 椅子とその脇の調度品。その上方にかけられた『心』 の書。北側の窓からは午後の柔らかい日差しが差し込んでいる。それは洋の東西は違えど、まるでフェルメールの絵画のようにひとつの絵として完成していた。
 私は猫殿から1メートルほど離れた廊下の床に正座し、その『絵』をじっと眺めていた。猫殿は私の存在など一向に意に介さず、黙々と毛づくろいを続けている。まるで、自分が絵になっていることをわかっているように。でありながら一方で、何にも捕われず心を解き放っているように。
 猫殿は、やがて丸くなってスヤスヤと目を閉じた。

 下手な人間に何人と会うよりも、一匹の猫のたたずまいがよほど示唆に富んで考えさせられることもある。要は、魂のあり方。人の皮をかぶっているか、獣の皮をかぶっているか、それだけの違いである。

               ★ <リンク> 玉川寺ホームページ

               (07年11月14日 記)
  
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